Alex Grey

"Net Of Being"

アレックスグレイはサイケデリックアートの巨匠である。
私が彼の作品と出会ったのはTOOLというバンドのアートワークを通じてだった。
「人は自分の想像できる範囲外のものを描くことはできない」という話を聞いたことがある。
つまり、人間は自分が経験した何かの延長線上でしか物事を考えることはできないのである。
未来の生態系予想を見ても、今存在する生物の延長線上の生物しか存在しないことから、計り知ることができる。
例えば、あなたは木星に生息する生き物を想像することができるだろうか。
地球は水の星であり、そこに生息する生命体の主成分は液体である。
気体の星である木星に、液体で構成された地球上の生命体と類似した生命体を探しても見つかるはずがない。

──────気体で構成される生物がいたとしたら?きっと人間はそれを生物として認識できない。
つまり理解の範疇を超えていることは想像することや、認識することですら難しいのである。

しかし彼の作品における世界観はどう考えても人間の想像できる範疇を超えている。
それもそのはず、彼はLSDなどといった幻覚剤によってトリップした先にある幻覚世界を描いているからである。

サイケデリックアートというものは基本的に幻覚剤が見せる、万華鏡のような極彩色の世界や、ぐにゃぐにゃと歪曲した線を描いたアートである。
そんな他のサイケデリックアートと一線を画す彼の作品の大きな特徴は人間と宇宙の融合を描いていることである。
ここが彼の恐ろしいところではあるが、この精神世界を描くために5年間ハーバード医科大学に通い、医学教室にて解剖実習に携わっていたのだ。
物質的にも(ある意味)精神的にもどんな画家よりも人間に対して精通しているからこそ彼の描くその精神世界は圧倒的リアリティを持ち、説得力をもっている。

私が彼の作品で特に好きな作品はTOOLの「10,000 Days」のアートワークにもなった「Net Of Being」である。
彼の作品は主題が人間であることが多いが、この絵の主題は精神世界であると感じるのだ。
この絵画の面白いところは縦にも横にも、そして奥にも無限の広がりが感じられるところである。
それはこの奇妙な模様とその連続性が生み出しているものである。
風景画だって無限に広がりが存在するじゃないかとご指摘があることであろう。
では風景画とは何が違うのだろうか。それは「飲み込まれる感覚」である。

例えば風景画と我々が対峙した際、我々は鑑賞者であり、対象である風景画とは絶対的な主従関係がある。
その絵は、我々が風景だと認識しているが故に広がりを感じ、だからこそ安心感を伴って鑑賞することができるのだ。
しかし実際世界で考えるとどうであろうか。我々は風景の鑑賞者であるが、そこに主従関係はない。
現実世界における広がりというのは「無限」であり、「1」である人間の敵う相手ではないのだ。
この絵を眺めれば眺めるほど、気が付けばこの世界に引きずりこまれている自分の存在に気づく。
この飲み込まれる感覚は現実世界に非常に近い広がりであり、他の絵と一線を画すところである。
だからこそ、この絵は精神世界であり、宇宙なのである。