Hans Ruedi Giger

"Li Ⅰ"

ギーガーはスイス出身の画家であり、造形作家である。
彼の作品の最たる特徴は「バイオメカニカル」という概念であろう。
バイオメカニカルとは端的に説明すると有機物である生体と無機物である機械の融合である。
有機と無機というのは水と油のような存在を混ぜ合わせた彼の作品はとても革新的であり、
日々SF的世界観が発展している現代においても、彼より高い精度でこれをなし得るものはもう出てこないであろう。

そんな彼の作品の中でも私が特に好きなのは「Li」シリーズである。
これは当時ギーガーと恋愛関係にあったLi Toblerの顔を、機械や生体をもとにした「バイオメカノイド」で覆った作品である。
この作品の素晴らしいところは「バイオメカニカル」という不気味さ、恐怖といった感情を思い起こす表現を用いて、
彼女の「生と美貌を永遠化」しようとしているところである。
不可能ではないかと思うような所業であるが、それを実際に成し遂げられているのだから素晴らしい。

人間の恐怖(あるいはそれに似た感情)を引き起こすのは比較的簡単である。
非日常的な表現、例えば人の死を扱った作品においては誰しもがその作品に対して不吉・不穏・恐怖心などといったネガティブイメージを持つことになるであろう。
人間というのはコミュニケーションを軸にして生きている生物であるがために共感という力を持っている。
そのため人間の感情というのは一般性があり、ある程度の道筋をたてて特定の感情を想起させることは特段むずかしくはないのだ。

そんな中この「li」を見て欲しい。生物的にも関わらず温もりを感じず、機械的な印象を受ける頭部装飾は生理的嫌悪感を掻き立てている。
それにもかかわらず、美しいと感じる人間は多いはずだ。
これは容姿端麗な女性の顔との組み合わせによって、お互いの要素が引き立てあっているのだ。
身近な例に例えるとすれば不良がいいことをするといい人間に見えるという心理的効果が近いであろう。
人は絶対的な値よりも相対的な幅を重視してしまうことが多い。
なぜなら物事の価値というものは定かではないからだ。
仏陀は色即是空という言葉を残した。絶対的な価値というものは空であり、存在しない。
犯罪は法律によって定められているから罪なのである。
つまり絶対的な美しさを測るためには自分の中に絶対的な美しさを定義する必要があるが、
そんなものを持ち合わせている一般人はそう多くない。
しかし所詮2点間の距離である相対的な幅は誰にでも感じ取ることができる。
だからこそこちらの振れ幅が重要になってくるのだ。

ギーガーの作品はこの振れ幅が極端である。
有機と無機という正反対のものを用いて、醜さと美しさを両立させている。
そしてこれが「Li」が特に美しい要因である。